ケータイが文化を変える。

いま日本の人口はおよそ1億2600万人。携帯電話の保有者は約8000万人。お隣りの中国はおよそ13億人の人口で約3億人が利用している。いつでもどこでも、常に1人1台携帯するネットワークツールである。人類が今まで持ち得なかった通信手段であり、会話手段である。都会でも、田舎でも、場合によっては山中でも、機種によっては洋上でも使える通信手段。さらにメール機能によって、その時の相手が直接会話ができなくても、伝えておくことができる機能を持っている。あるいは、会話によらず、文字だけでの会話(チャット)、しかも複数の人間の参加が可能である。

そして、このケータイに更に様々な機能が掲載され始めた。音楽、ラジオ、テレビ、録音、お財布(支払)、GPS等など。1人1台いつでも世界中に繋がる通信手段。今後、このケータイに更に色々な機能が付加されようとしている。個人認証、動画受信、クレジットカード機能など、そしてこのケータイで出切る事も会話やメールのみならず、様々に発展していくだろう。ケータイショッピング、ケータイオークション、ケータイムービー、ケータイ証券等など。人類がかつて持ち得なかったツール(道具)によって、当然のこととして社会が変わってゆく。ケータイで買い物をし、ケータイで自宅の風呂を沸かし、ケータイで映画を見たり、ケータイで保育園にいる我が子の姿を画像で確認し、ケータイで自分のカルテを確認する。今まで不可能だったことが可能になっていく。

世界中のネットワークとつながり、生の情報が得られる機能。ケータイのもつ可能性は更に広がっていくことだろう。当然、良いことばかりではなく、負の部分も持ち合わせているのが世の常である。個人のプライバシーをどうするのか。個人情報はどこまで守られるのか。悪意を持って流された情報やコンピュータウィルス。ネットワークの故障あるいは破壊が起こらないとはいえない。ネット社会も社会である以上、人間社会で起きることは、ここでも起き得ると想像できる。

とはいえ、これを活用するとき、社会が変わり、文化が変わってゆくことは、容易に想像できる。しかも急激に、である。