yahoo!Japanの検索エンジンが変わった。
10月3日、インターネットホームページの検索サイト最大手のYAHOO!JAPANの検索エンジンが変わった。GOOGLEと同様にロボット式になったのだという。業界紙などに、トップページの3分の2が入れ替わるかもしれないなどと予測されていたが、キーワードによっては現実の問題となったところもあるようだ。
ニュースを得る手段が飛躍的に変化していることを実感する。人類の情報伝達の歴史は、人から人への言い伝えから、石や木などへの筆記。そして紙の登場。印刷機の発明。ニュースペーパー(新聞)、ラジオ、テレビ、そしてインターネットと発展してきた。さらにインターネットはホームページ、メーリングリスト、ブログと新化してきている。かつてはホームページクリエーターで良かったけれど、今はWebプロデューサーが求められている。時代が大きく変わる時、社会にも大きな波が押し寄せる。そこに悲喜劇が生まれる。
飢餓と肥満が混在する球形の大地
世界保健機構(WHO)によれば、2005年現在、世界で肥満に陥っている人は約10億人いるそうだ。地球上に人類は約63億人。その3分の2は飢えているのに、6分の1は栄養過多。先進国のみならず発展途上国にも肥満は広がっている。肥満の原因は食生活と運動不足。脂肪、塩、糖質の多い食事と、車社会などによる運動不足が原因らしい。それにしても、人類の3人に1人は飢餓の状況にあるといわれているのに、6人に1人は太りすぎとは・・・・・、食糧が偏在している。
とりわけ肥満が多いのはU.S.A.アメリカ合衆国。豊かさの象徴は、圧倒的な物質的な豊かさ。そして食生活。豊かさなのか貧しさなのか・・・、ポテトチップスとハンバーグ、ステーキとコーラ、ここにも偏在が存在する。ある説によれば、将来アメリカ人の7〜8割は病的な肥満になるとか。他人事ではない、かく言う私も、確実に体重は増えてきた。ストレス性過食症と言いながら、運動不足が大きな原因ではある。
GDP世界第2位の日本は、1億2千6百万人。人類の約2パーセントの日本人は、世界の穀物市場の約1割を輸入する。世界の森林資源の約2割、世界の海産物の約3割を輸入する国である。あるいは輸入できる国である。そして、世界で最も多く食糧を輸入しながら、世界でもっとも多く、食べ残す国だとも言われている。ホームレスの人々が糖尿病になる時代である。戦後60年、豊かになるに連れて食生活も欧米型になり、肥満は確実に増えている。そして、ここにも偏在が存在する。
偏在、これは食糧や物に限らず、情報もかかわってくる。情報が流れない。知らない。気づかない。ニュース価値にならないものは無視される。視聴率だけが基準となる世界では、真実が伝わらない。アメリカ兵の死者数と、イラク人の死者数では、比較にならないほどイラク人が亡くなっているのに、死の姿が、戦争の悲惨さが、惨めさが、世界に伝わっていかない。情報化社会と言いながら、情報は混在しながら、偏在している。この球形の大地、地球はさまざまな点で過度期を迎えている。私が最も恐れるのは、「無関心」である。
ケータイが文化を変える。
いま日本の人口はおよそ1億2600万人。携帯電話の保有者は約8000万人。お隣りの中国はおよそ13億人の人口で約3億人が利用している。いつでもどこでも、常に1人1台携帯するネットワークツールである。人類が今まで持ち得なかった通信手段であり、会話手段である。都会でも、田舎でも、場合によっては山中でも、機種によっては洋上でも使える通信手段。さらにメール機能によって、その時の相手が直接会話ができなくても、伝えておくことができる機能を持っている。あるいは、会話によらず、文字だけでの会話(チャット)、しかも複数の人間の参加が可能である。
そして、このケータイに更に様々な機能が掲載され始めた。音楽、ラジオ、テレビ、録音、お財布(支払)、GPS等など。1人1台いつでも世界中に繋がる通信手段。今後、このケータイに更に色々な機能が付加されようとしている。個人認証、動画受信、クレジットカード機能など、そしてこのケータイで出切る事も会話やメールのみならず、様々に発展していくだろう。ケータイショッピング、ケータイオークション、ケータイムービー、ケータイ証券等など。人類がかつて持ち得なかったツール(道具)によって、当然のこととして社会が変わってゆく。ケータイで買い物をし、ケータイで自宅の風呂を沸かし、ケータイで映画を見たり、ケータイで保育園にいる我が子の姿を画像で確認し、ケータイで自分のカルテを確認する。今まで不可能だったことが可能になっていく。
世界中のネットワークとつながり、生の情報が得られる機能。ケータイのもつ可能性は更に広がっていくことだろう。当然、良いことばかりではなく、負の部分も持ち合わせているのが世の常である。個人のプライバシーをどうするのか。個人情報はどこまで守られるのか。悪意を持って流された情報やコンピュータウィルス。ネットワークの故障あるいは破壊が起こらないとはいえない。ネット社会も社会である以上、人間社会で起きることは、ここでも起き得ると想像できる。
とはいえ、これを活用するとき、社会が変わり、文化が変わってゆくことは、容易に想像できる。しかも急激に、である。
ローテクなるものをハイテクで。
金沢での会議のために早朝に駒ヶ根を出た。
中央自動車道で土岐JCTまで行き、そこから東海環状自動車道で関JCTへ、
東海北陸自動車道を北上して、ひるがの高原SAで一休み。
生まれて初めて通る道と景色。
信州は山の中だけれども、岐阜県も山が多い。
庄川インターで下りて、一般道を白川へ。
せっかくなので、白川郷を少しばかり散策、昼食はお蕎麦。
時は秋、稲刈りの真最中。
黄色い稲穂の海に合掌造りの家々が浮かび、コスモスの花がゆれていた。
そして、日本の(かなり)古き良き時代の農村共同体の姿を垣間見た感じがした。
かつて、日本経済が高度経済成長を遂げた頃、
日本の地方の多くの部分が取り残されたと思われたもだった。
だがしかし、環境の時代といわれる21世紀、
最後尾を走っていたランナーが、いまや最先端になりつつある。
ローテクなものが、ハイテクの技術をもって、最先端を走り出そうとしている。
白川インターから再び高速道路に乗り、小矢部砺波JCTへ。
今度は北陸自動車道で金沢西インターへ。
予定通り、14時からの会議に間に合いました。
ホテル日航金沢での会議は、たいへん有意義な内容でした。
生物としての人間。
人間は生物の一つの種である。3分間呼吸を止めていてください。・・・・苦しいかもしれない。一週間水を一滴も飲まないでください。・・・・苦しいかもしれない。30日間何も食べないでください。・・・・苦しいかもしれない。人間が生きていくためには、空気と水と食べ物が不可欠である。今、この空気と水と食糧が危なくなってきている。大気は汚れ、飲料水は不足し、食糧の安全性が問われてきている。
おそらく、2010年代には、多くの国々で飲料水の不足が問題となってくると思われる。現在でも、水を輸入している国がある。日本でもミネラルウォーターの消費量は年々増えている。ガソリン1リッターが税金がかかっているとはいえ130円前後(メジャーでは史上最高値を更新しているが・・・)、ミネラルウォーター500ccが120円前後、ほぼ同額である(但し、円とドルとの為替レートにも作用される)。インド、中国などは人口の多さもあいまって深刻な問題となると思われる。
そして、2020年から2030年、人類は70億以上の人口を数え、深刻な食糧難を迎えるだろう。現在でも人類の3分の2は飢えの状況下にある。さらにその半分、人類の3分の1は、「きょうもお腹いっぱい食べられなかったけれど、明日、きょうと同じ量の食料が確保できるとは限らない状況にある」。もし今、世界のどこかの火山が大爆発を起こしたなら、異常気象が地球全体を覆い農産物生産地に大きな影響を与えるだろう。それは即刻、世界の穀物市場に影響を与え、穀物の高騰、ひいては食料不足を加速させる。食料は不足しているだけではなく偏在しているのである。富める国々では、穀物よりも肉食を好み、トウモロコシや大豆を飼料として牛や豚が生産される。発展途上国では、外貨獲得のために、食料を生産する傍らで、コーヒーや香辛料など換金食物を優先する傾向もある。食料は不足している一方で、偏在しているのである。
そして、冷却装置や工業用洗浄用に用いられたフロンガスによるオゾン層の破壊、地球温暖化による環境破壊、森林資源の破壊などによって、大気が汚染されていく。植物は二酸化炭素を葉や枝に固定し、酸素を生成する。人類は、化石燃料を燃焼し続けている。
人間が生きていくためには、空気と水と食料が不可欠である。今、人類は大きな過度期に立たされている。
風の秋
いつまで続くのだろうか、この暑さはと思いながら、いつしかツバメの群れ飛ぶ姿は無く、朝晩は過ごしやすい季節になった。我家の庭の花々も次々と主役を変えて、今はホトトギスやシュウカイドウ、ヤブランなどが精一杯に咲いている。背筋をぴんと伸ばしてシュウメイギクが出番を待っている。秋は密かにやってくる。春が光とともに訪れるなら、秋は風とともにやってくる。
日本は古来より自然の移ろいの美しさを愛でてきた。雪月花、花鳥風月などは四季の変化の美しさを端的に表している。四季を彩る様々な花、季節を告げ、心をなごませ、心を豊かにする花の美しさ。月は日々形を変え、日ごとに満ち、また欠けていく。月の光が照らす景色もまた、日ごとに変化する。風は目に見えないものを連れてくる。雪の降った日は地上を完璧に変える。はっきりとした四季を持った国に育ったわたし達は、自然の変化を楽しむ心をもった民族である。
自然の移ろいの中に、人生を感じ、人の成長を月の満ち欠けの中にみる。形あるものはいつしか壊れ、出会いがあればいつの日か別れが待っている。別れたといえども、また季節は巡り、新たな出会いが待っている。明けない夜は無い。苦しみもずっと続くわけではなく、喜びもまた永遠に続きはしない。
「袖すれあうも他生の縁」出会いは偶然であるがまた、必然を感じるときもある。それぞれたどってきた道だが、ある時、ある場所で、出会った。そこで何事も無くすれ違ったのか、袖すりあって、一言三言、会話が交わされ、時によっては人生を変える出会いとなる。誠に人生は、時を歩む旅であり、わたし達は時を歩む旅人である。そして、時は自然の移ろいそのものであると思う。
美しい日本の、美しい四季の変化の中で、美しい生き方をしたいものだと思う。