電気の次にくるエネルギーは?

5年ほど前のことだろうか、とある人から唐突に「ねえ、電気の次にくるエネルギーは何だと思う?」とたずねられた。とっさのことに、直ぐには返答できなかった。「気」のことが頭に浮かんだが、一歩まちがうとオカルトの世界に入ってしまいかねない。


人類が電気をエネルギーとして意識し、活用を始めたのは、ここ200年ほどの事だ。平賀源内のエレキテル。ベンジャミン・フランクリンの雷と凧の実験。これらは18世紀半ばの出来事だ。雷や稲光、摩擦による静電気などは、人類が誕生する以前からある、否、地球誕生に関わる頃から存在する自然現象だ。しかし、この電気を人類がエネルギーとして本格的に活用するようになったのは、そんなに昔の事ではない。田舎では、戦前(今から60年ほど前)に各家庭で電気を引いている家はまだ少なかったという。夜間だけ契約している人もいた。夜間も昼間も契約している家はかなり裕福な家だった、と聞いた事がある。電気を引いても電灯以外に使い道が無かったのかもしれない。


しかし今や、電気の無い生活は考えられない。テレビ、冷蔵庫、洗濯機、炊飯器、エアコン、ストーブ、毛布、パソコン、時計、携帯電話、等など。電気無しでは生きられない状況だ。が、しかし、200年ほど前には全く使われていなかったエネルギーである。燃える水、石油。燃える空気、ガス。燃える石、石炭。これらはかなり以前からそれなりに知られ使われていた。しかし、電気の歴史は短い。


9.11以降、人類はテロの新たな脅威を意識せざるを得なくなった。また、最近の自然災害の多さはどうだろう。台風、ハリケーン、サイクロン、地震、ツナミ。東京が3日停電したら、どうなるだろう?電車や地下鉄が止まり、エレベーターが止まり、エアコンが止まり、信号が止まる。パソコンが止まり、ネットワークが止まり、オンラインが止まる。夜は真の闇がくる。もし何らかの形で送電線が破壊され、変電所が破壊されたなら・・・・。都市の機能を停止させるのにはミサイルも自爆テロも要らないのかもしれない。スイッチ一つでオンオフできる世界は便利で効率が良いけれど、その便利さに寄りかかれば寄りかかるほど、何かあった時には手が着けられない状態になりかねない。それが現代社会だ。


最初の問いに戻ろう。人間はもとより犬も猫も電池で動いてはいないし、電気コードも繋がっていない。人間の寿命は70年80年が平均値になりつつある。電気の次にくるエネルギー、確かに何かが存在するのかもしれない。