なぜこの世に男と女が存在するのか。

なぜこの世に男と女が存在するのだろうか。なぜ雄株と雌株が必要なのか、なぜ雄と雌がいるのだろうか。この問いに、ある人は「子孫を残すため」と答え、ある人は「種の繁栄のため」と答えが返ってくる。子孫を増やし、種を増殖させるためなら、アメーバのように細胞分裂し、いくつでも数を増やす事は出きる(クローン)。植物における雄花と雌花は、あるものは花粉を風に飛ばし、あるものは虫に媒介させ、あるものは鳥に託し、様々な工夫をしている。ある意味、あんな面倒な事までして、なぜオスとメスを必要とするのだろうか。

その答えは、多様性の確保にあると思う。エイズ発症の地といわれるアフリカで、明かにエイズに感染しているのに発病しない人々が5パーセントほどいると聞いたことがある。人類の(生物の)歴史は、ウィルスと紫外線との闘いの歴史だった。多様性を確保し、多様性を広げる事によって、様々な危機から「全滅」を防いできたのだ。過去には、コレラでペストで数十万人の命が短期間に失われた時代があった。細胞分裂していくら個体数を増やしても、弱点が同じであれば全滅してしまいかねない。男と女、X染色体とY染色体。偶数に奇数が掛け合わされて、誕生してくる遺伝子は無数に拡大していく。多様性を作る事で、右からの危機、左からの危機、上からの危機、下からの危機、それぞれの危機に強い固体が生き残ってきた。種を滅ぼさないための大きな工夫が、知恵がここにある。

21世紀は多様性の時代だといわれている。21世紀のキーワードは「多様性をネットワークし、コーディネイトし、プロデュースする時代」だとも言われている。すなわち「多様性を組合せ、加工し、演出する時代」なのだ。ひところ、国際標準、グローバリズムなどという言葉が盛んに持ち上げられた。ある意味、インターネット社会のプロトコルのように、統一し同質化する部分も必要である。しかし、一つのものに頼りすぎた時、この本体に欠陥が見つかったり、破壊されると、全てが壊れかねない。リスクは分散しなければならない。

人間社会も同様に多様性を必要としている。過去の歴史の中で、全ての国民を同じ方向に向けさせ、体制翼賛社会を築いた時、一時的には強大な力を発揮するが、やがて内部から崩壊して行く。その過程ではたくさんの血と涙が流されている。多様性を認め許容する事によって、様々な意見を述べ合うことによって、自ずと進路が正しく決まってくるものだ。21世紀は多様性をネットワークする時代だと言われている。